楽器考

2005年3月28日 音楽
人様のブログを読んでいると、音楽を愛好している人って多いんだな、と思う。聞く専門ではなく、自分でもやる方。

メインの仕事を他に持ってはいても音楽を生き甲斐にしてライブ活動でお客さんからお金がもらえるほどの玄人はだしの人というのも言うまでもなく素晴らしいが、
娘さんと一緒にピアノを始めたが今や自分の方がうまいと豪語している人なんかも、微笑ましくてまことに結構だと思う。
ご主人の仕事の都合で外国暮らしになり、言葉は達者ではないが市民オーケストラに所属して音楽を楽しんでいる、という人の日記なんか読むと「ああ音楽って国境も言語も越えるんだなあ!」と感動すら覚える。
身近なところでは、市民ブラスバンドが日曜日に広場で勝手に発表会を開いていて、下手っぴでそれを眺めているのはどう考えてもメンバーの家族だけだと思うのだが・・・それはそれとしてそのブラスバンドの構成メンバーは20人くらいはいただろうか、それが下は小学生から上はどうみても年金生活者までとバラエティーに富んでいて、おそらく仕事なんかもばらばらなんだろうが「音楽が好き」ということだけでコミュニケーションが成り立ち、継続する小さな共同体が出来上がっている。
これってよく考えてみると不思議なことだなあ、ああ音楽って素晴らしいなあ!
と、この年になって音楽を愛することの意義と効用にしみじみと思いをめぐらす今日この頃。どうしちゃったんでしょ?

私自身は不幸な音楽体験のおかげで、楽器演奏を楽しむ、ということが出来ない。楽器は弾ける。多分、今でも。
でも楽しめないのだ。
どうしても「上手くひかなきゃ、間違えないようにひかなきゃ」という脅迫観念から逃れられず、たまにピアノを弾いてみても、楽しくない。自分は下手だという抜きさりがたい刷り込みもあって、音楽を楽しみたいなら苦労して自分で演奏するよりもうまい演奏家のCDを聞く方がずっといいじゃないか、と。

大変残念なことだと自分でも思う。

それもこれも小学生を物差しでひっぱたきながら教えた近所のピアノ教師と、嫌がる娘よりもご近所関係を優先させた母親のせいだ。ずっと叱られるのが恐いからという動機付けで毎日練習しながら「どうして私は先生や母の期待通り上手く出来ないのだろう。他の子は出来ているのに」と自分を責めていたが、なんの、大人になって客観的に考えてみても、これは
ピ ア ノ 教 師 と 母 が 悪 い 。
プロ目指しているというならともかく、子どもに音楽に対して恐怖心抱かせてどうすんねん。

夫は私がピアノが弾けるということが羨ましいそうだ。自分は思春期になってから自己流でギターを弾くくらいしかできなかったからと。
しかし自分の意志で始めて、血が滲むまで夢中でやった、平気でやれたという夫の方が私には羨ましい。

楽器演奏って楽しんでやれればこれほど素晴らしいことは無いと思う。上手い下手は、趣味でやる分には二の次で。仲間も出来るし。
子どもが出来たらやはり何かやらせてあげたいと最近は思う。
ピアノでもギターでも。
私は自分で持ち運びできるからギターとか笛がいいんじゃないかと言ったら、夫はやはりピアノがいいだろうと。
理由は持ち運びは出来ないけど、ちょっとした施設にならどこにでも置いてあるからと。
ああなるほど、そういう考え方もあるか、と目から鱗。
最近は電子ピアノも発達してそんなに邪魔にもならないし音量調節すれば近所迷惑にもならないしね。

って別に子どもができたとかいうわけじゃ全然ないけど(笑)。

コメント